事 故 概 要



 

本件の経緯をお話しします。

僕自身が近隣の方に聞き取り得た証言や警察の捜査からわかった事実、探偵の阿部泰尚さんの調査結果をまとめています。

岡林宏樹


確認されている事実と

不可解な点について


  • 最初、一緒にいた児童らは、優空を探していた遺族に対して「一緒に遊んでいない」などと嘘をついていた。
  • 遺体発見前、警察が児童らから聞いた証言は「優空は一人で川に入りふざけている様子だった。そのうちふざけて泳ぎ出し、ラッコ泳ぎしているみたいに見えた。」だった。
  • 遺体発見後、警察はこの児童らの証言を元に【ふざけて川遊びしてるうちに足を深場に取られ溺死した水難事故】と判断して検案書を作成しており、これは同日の県警発表の記者クラブからの報道記事にも記載されている。
  • 遺体確認の際に刑事から「これは事故です。もし何かこれ以上証拠が出ても児童は罪に問う事は出来ません。」との説明を受け、遺族はその時に初めて現場に児童らが居たことを知った。
  • 現在まで、児童らの証言は二転三転しており、当日の川に入ったとされる箇所が次々と変わり、川の水位についても各児童ごとに証言が違う。
  • 最終的にはワニ遊びをしていたなどという証言も出たと刑事から聞いた。
  • 事故発生直後、児童らは優空の自転車に乗って近所の神社にクワガタを探しに行き、その後、自転車は児童らの自宅裏の山側(梨畑付近)に隠している。
  • 児童らはその後何度か川に確認をしに戻っており、その際にも優空の自転車を再度乗って行ったと証言している。
  • 当日、優空が持っていたお気に入りの図鑑は、中までびしょ濡れの状態で、履いていたクロックスと一緒に堤防の犬走りに置かれていた。
  • 児童らは「図鑑と靴をどうしようか」と全員で相談したと証言している。

 

下田川は潮の影響により干満の差が激しく、川の深さも変わりますが、未だに正確な事故発生位置の特定すら出来ていません。

 

担当刑事からも「当時の状況はよくわからないし、事故発生から時間が経ちすぎて児童らの証言も曖昧になるでしょう。」と言われましたが、これは当初から懸念されていた事であり、何度も遺族から伝えていた事です。

 

我々遺族は、顔を水につけるのも苦手だった優空が自ら川に入り1人で泳いだということに強い違和感を持っています。

 

1日も早い再捜査が行われる事を願っています。詳細を以下時系列にまとめました。

 

令 和 元 年

8月22日

この日の朝も優空といつものハイタッチ。帰宅後に、ベビーカステラを一緒に作る約束をしていた。

 午後12時半頃

下田川堤防の上で、川で遊んでいた子供達4人が体育座りをしていた。

 午後1時過ぎ頃

おろしたてのシャツを着て優空は遊びに出た。下田川とは逆方向の公園へ自転車に乗って出かけるのを妻が確認している。

所持品は先日叔父さんから貰ったお気に入りの生物図鑑

 午後1時半頃

堤防付近の目撃証言で、当時小学1年〜5年生までの計5人(ABC三兄弟、D君、優空と思われる)が目撃されている。優空以外の4人は午前中も目撃されている。

 午後2時頃

堤防付近の桜の樹の下に、自転車が2台倒れているのを発見した人が、堤防横の用水路付近で子供らを探すが、見かけてはいないと証言。

(当日は、上流地域で雨が降ったため、川の水かさが増していて危険であった。)

同時刻帯、普段から下田川でシジミ採りなどをする近所のお爺さんは、この日は増水していたので川には入らなかったと証言していた。

下田川の写真で す。

(拡大してご覧になれます)

 午後2時15分頃

B君(次男)と優空が、優空の自宅付近で合流。

同時刻帯、別の子供らを含む数名を、下田川の堤防付近で見かけたという証言がある。

(特定できていない児童ら。)

 午後2時半頃

水門管理の職員が操作パネル付近で点検作業を行っている。ただ、子供達の姿は見ていない。

その他、子供用の自転車を見たとの証言がある。

 午後2時半〜午後3時40分頃

目撃証言はなし。

僕が集めた情報・証言では、この間に優空は下田川で溺れた可能性が非常に高い。

 午後3時半〜午後4時

この時間帯については警察の調査による児童らの証言がある

(後述

 午後3時40分頃

下田川付近から2時半頃目撃されていた子供用の自転車がなくなる。

 午後4時〜午後4時20分頃

優空と一緒にいた4人は、三兄弟の家の玄関先に戻り、C君(長男)はびしょ濡れであったため着替えをしている。A君(三男)もズボンが濡れていたため着替えている。D君は玄関に入らず外で待つ。この間、三兄弟らと親交のあるE君(中学生)が合流。

A君(三男)とD君が、熊野神社にクワガタを取りに行く。優空の自転車を使用。

当日の証言では全員「下田川には入っていない」とのことであった。

 同時刻帯〜午後4時50分頃

A君(三男)とD君が熊野神社から三兄弟の自宅に帰宅後、優空の自転車が三兄弟の家にあると怒られると思い、三兄弟の自宅裏の山側(梨畑付近)に乗り捨てた。

後の情報で4時半ごろ自転車が2台、下田川で目撃されている。(証言によると優空の自転車ではないと思われる)

 午後5時

5時の音楽が流れ、D君は帰宅する。

 午後5時15分〜午後6時頃

5時過ぎに帰らない優空を心配し、妻が近所数軒に尋ねたが、「来てないし、見てもないよ」と言われる。その後、妻は「優空が帰らない。付近にはいそうにない」と泣きながら僕に電話。

 午後5時半〜午後6時半

A君(三男)とE君(中学生)が自転車2人乗りで、C君(長男)は徒歩でB君(次男)は再度 優空の自転車で下田川方面へ向かった。この時、優空を待ち自宅のガレージの前にいた妻はA君、E君、C君を目撃している。

 午後7時頃〜

僕は、用水路や草むら等、優空を探しながら帰宅する。

見当たらず、警察に通報。一旦帰宅し、ライト数点を持ち近所に聞きに行く。

三兄弟宅を訪問し、優空と遊んでいたか尋ねると、A君(三男)は「遊んでいないから知らない」と証言。B君(次男)は「塾に行っていたから知らない」と証言する。兄弟は食事中であった。

 午後8時頃

僕が三兄弟宅の裏手、三兄弟の自宅裏の山側(梨畑付近)優空の自転車を発見し、刑事に電話する。

再び三兄弟宅へ行き、「(優空の)自転車が山側にあったが、近くに友達、知り合いはいる?」と尋ねるが、次男と三男は「行ったことがない。知らん。友達もいない」と答える。

三兄弟の祖母が、子供らに見てくるよう促すと子供らは「優空君、帰ってないが? 一緒に探すで! 手伝う」と答える。

 午後8時20分頃

次男と三男が暗い路上で走り回る様子を見て、僕は危険だと判断し、帰宅を促す。

 午後8時28分頃

下田川堤防内側の犬走りの上で、刑事が、びっしょり濡れた優空の図鑑とクロックスサンダルを発見し、電話がかかってくる。

刑事に、図鑑は川の中にあったのかと聞くと、「濡れそうになったので取り上げました」と言った。

刑事のいる現場へ行きライトで照らすと、犬走りのコンクリートは薄っすら湿っている程度で八割型乾いているようだったが、図鑑はページが波打つほど内部まで水を含んでいた

 午後8時40分頃〜

下田川に沿って、僕一人で捜索を開始する

 午後9時20分頃〜

警察・消防による下田川下流に向けての捜索が始まる。

 

警察の聞き取りにより、4人の児童が優空と一緒にいたことが発覚。

 

当該児童らの事故当時についての証言は「(優空が)1人で服を着たまま川に入り、急に泳ぎ出し、『助けて! 助けて!』と何度も言いながら沈んでいった」「ぴょんぴょん飛び跳ねながら」「ふざけてラッコ泳ぎをしながら沈んだ」など4人の証言には食い違いがあった。

全員一致する証言は「怖くなって逃げた」「4人とも川には入っていない」だった。

優空が沈むのを見届けてから「クロックスと図鑑はどうする?」と4人で話し合い「逃げる際、B君(次男)が優空の自転車に乗って帰った」とも証言。

 

この時、僕はまだ当該児童らが事故当時に優空と一緒にいた事を知らされていなかった。

 午後11時頃

小雨が降ってくる。捜索も虚しく、優空は見つからない。

8月23日

 午前0時20分頃

雨足が強くなり、僕は帰宅する。

 午前1時頃

「そろそろ限界。捜索は明朝再開する」と警察から電話あり。

 明朝 午前6時頃

捜索再開。雨の降る中、警察・消防65人態勢の捜索が続く。

堤防上に数十名の捜索隊、川には数名の捜索隊がボートで入っていた。

上空からはヘリコプターで捜索。私達家族は連絡を待つ。

 午後2時頃

下田川の水門を閉め捜索。

 午後4時20分頃

優空が遺体で発見される。

勤務先の社長から電話で知らされる。

発見場所は下田川の中央付近。水深90cm100cmほど、川底から10cmほど浮いた場所でうつ伏せの状態で発見された。

 午後4時22分

優空発見の電話が警察からあり、走って川に着くとブルーシートにくるまれた優空が救急車に乗せられる所だった。

 午後4時半〜午後6時

高知医療センターに搬送され、僕が付き添う。優空は遺体検案室へ。

僕は個室で1時間ほど待ち、優空の主治医と話をしていた。

警察に呼ばれ、優空と対面した。事故との説明を受け、外傷等についての説明をされた。

遺体は片耳に砂や泥が入り込み、額に傷がある状態だった。

 

優空は未熟児で生まれた為、幼稚園までは4ヶ月に1度。小学生になってからは半年に1度この医療センターで定期検診を受けており、この日は定期検診の予定日だった。

 午後9時半頃

東警察署に、遺体確認に呼ばれる。

警察からの第一声は「事故です」だった。

ここで私達家族は、当時4人の児童が現場に居合わせていたことを初めて聞かされる。

警察の「不審点はなく、犯罪の可能性はない」との判断により、司法解剖は行われなかった。

死亡推定時刻は「(22日の)午後3時頃」と言われた。

8月23日〜24日

各新聞・ニュース等で、「ラッコ泳ぎをしながら沈んだ。(一緒にいた児童は)怖くてその場を立ち去った」と報道される。

8月25日

岡林 優空【 通夜 】

8月27日

岡林 優空【 告別式 】

8月29日

警察から「教育委員会からも話があるはず」との説明を受けたので、南国市教育委員会に話を聞きに行き、教育次長他3名と面会をしたが、ニュースや新聞で見ただけで詳しいことは何も知らないと言われた。

同日、稲生小学校に電話をするが、教育委員会とは連絡を取り合っていないから、対応が出来ないと言われた。

9月1日

教育委員会、小学校の代表者が岡林宅を訪問。

910日まで、小学校は保護者会を開いていない。南国市教委からは連絡なし。

令和23月現在も、小学校は保護者会を開いていない。南国市教委からは連絡なし。

9月11日

学校から、優空の夏休みの宿題が返される。

9月12日

再捜査を求める「ネット」署名を開始する。

この記事が出た頃、三兄弟の保護者が、「3人は事故当日優空と川に入っていた」と警察に証言。

9月17日

再捜査を求める「書面」による署名を開始する。

9月28日

岡林 優空【四十九日法要】

10月2日

「ネット」署名締切(21日の間に59,088の賛同者が集まりました。感謝申し上げます。)

10月10日

「書面」での署名締め切り

10月15日

高知東警察署に再捜査を求める76,214筆の署名を提出。

29日間という短い期間にも関わらずたくさんの方々より署名を頂き感謝申し上げます。)

10月16日

高知新聞に高知県警は事故と断定との記事掲載。

10月17日

テレビやラジオでも活躍中のいじめ探偵・阿部泰尚氏が、調査のため来高。

10月29日

いじめ探偵 阿部泰尚氏の記事 第一弾 がMAG2 NEWSに掲載。

11月7日

遺族側より「いじめが原因で起きた疑いが残る」として、いじめ防止対策推進法に基づく調査委設置要望書を南国市教委に提出。

11月11日

高知県庁にて【第三者委員会設置要望】提出の経緯等、記者会見を行う。

(岡林と代理人弁護士2名による)

11月19日

南国市教委、第三者委員会設置を決定。

令 和 2 年

2月19日

東警察署に呼ばれ、調査の進展状況や経緯、これからの方針を遺族で話を聞きに行った。

しかし、「(児童らの)証言と目撃情報とがいつまでたっても食い違い平行線のままなんです」と担当刑事から告げられる。

76,214人の署名、嘆願書を提出したが「再捜査をするつもりはない。事故当日を100%再現することはできんでしょう」と、再捜査は行われていない事を知らされた。

2月22日
8月20日
8月22日

岡林 優空【一周忌法要】

8月25日

いじめ探偵 阿部泰尚氏の記事 第二弾 MAG2 NEWSに掲載。

10月6日
10月13日

いじめ探偵 阿部泰尚氏の記事 第三弾 MAG2 NEWSに掲載。

令 和 3 年

3月30日

いじめ探偵 阿部泰尚氏の記事 第三弾 MAG2 NEWSに掲載。

8月19日
11月30日

いじめ探偵 阿部泰尚氏の記事 第三弾 MAG2 NEWSに掲載。